愛 光 iot(internet of things) 大連 smart...
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2016 年 5 月1日発行 No, 93号
愛 光通商
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わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
我的心哪、你要称颂耶和华、不可忘记他的一切恩惠。
主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し。
他 赦 免 你 的 一 切 罪 孽 、 医 治 你 的 一 切 疾 病 。
命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け。
他 救 赎 你 的 命 脱 离 死 亡 、 以 仁 爱 和 慈 悲 为 你 的 冠 冕 。
長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。
他用美物、使你所愿的得以知足、以致你如鹰返老还童。
詩編103:2-5
大連
AIKO CLAMP CO.,LTD.
大連愛光第22期董事会 3月10日 大連愛光董事長室
IoT(Internet of Things) Smart Factory
春季号
( 賢い工場)
鷲のような若さを!!
かしこ
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愛光標準規格クリップ 略図集 愛光集団は46年のクリップ一筋にて、車両業界に生産提供させて頂いております。金型設計製作
・プレス加工・メッキ処理・絶縁コーティング加工と、社内一貫生産体制により長年の信用を頂戴致して参りました。特に、コーティング処理加工は《PVC・ゴム・粉体ポリエチレン・粉体ナイロン》と多様な加工技術を有して、顧客のニーズに対応させて頂いております。 46年のクリップ生産の中で、1万点を超す金型を有しておりますが、この度、特に共有で使用されます2000余アイテムを愛光標準規格化し、お客様に金型費用の発生しないご使用策をご提供させて頂きます。 ご検討頂きます場合は、弊社まで資料のご請求をお願い致します。
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2016年 社内報「春季号」
表 紙 …… 「大連愛光第22期董事会」
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ない。世界のありとあらゆる大企業のモノづくりは、自動化は当然の如く、先端ITを駆使した種々の
生産体制を確立している。
大企業や国主導のそれはそれとして、自分自身の足元、愛おしい我が大連愛光に“何か誇るべきモ
ノ
があるのだろうか”という疑問に、“I o T ”が応えてくれる、という感触をI o
Tの書物を読み返す中で、漠然とした感触ではあるが“羽ばたける”モノを感じ取った。
私たち中小企業のモノづくりは、顧客からの一アイテム単品受注形態で、各生産機械設備への生産
指示、生産終了数値報告、倉庫入出庫報告、出荷報告等々主な流通での数値確認は、殆ど書式による
もので、それぞれ系統に分かれた電算システムに入力され、生産・購買・業務・倉庫・財務等々への
専門直轄部門へと連結されていく。一つの大河に例えれば、上流から下流まで一貫した本来の本流の
流れとして、河口の注ぐべきである。しかし我が大連愛光の上流からの流れは、各部門への分流を経
る流れの中で、いつの間にか本流か分流かも分からない流れとなり、各部門がそれぞれ溜まりや淀み
を作り、河川の流れとはほど遠い、あたかも“水溜まり集団”の如き様相を呈している、というトッ
プの述懐である。
I o
Tの生産思想からすれば、生産設備機械や諸原材料、製品などに取り付けた機器やセンサーでデータを
集め、受注から生産、発送などあらゆる情報を一元管理させる。納期の短縮や顧客要望の合致、少量
多品種生産などをも進め、部品の在庫状況も的確に把握し、適正な作業時間を確立し、生産コストの
削減を計ることをも目的とする。
政府規模で行おうとするI o
T革命は、現状の最先端通信機能を活かした、膨大なビッグデータを収集・分析して、工場などの生産
性を飛躍的に高めて行き、且つ、最終目標は大手企業顧客との一体管理システムの構築にある。
先にも言ったように、私たち中小企業はダイソレタ宇宙規模の改革などは求めてはいない。私たち
がやるべきことは、先ず、目先の見える化“口頭やメモ(書類など)=アナログ”による指令を廃し
、“機器やセンサー=デジタル”による指令の流れを創ることだ。
もう一つI o Tにこだわる理由がある。我が社、大連愛光汽車部件㈲の英文名称はDalian
Aiko Auto Parts Co.,Ltd.だ。しかし、本年1月1日付けでAIKO CLAMP
CO,.LTDと英文呼称を改称した。理由は、金属を母材とするクランプへの絶縁・保護を目的とする専
門メーカーとしての、大連愛光の立場を明確に業界にPRする為である。大連愛光のトップとして私は
50年間の長きにわたり、車両業界において金属基材クランプ(PVC・ゴム・ナイロン・ポリエチレン
等々の絶縁・保護クランプ)を生産&供給させて頂いた。大連愛光は小さき工場と言えども、クラン
プ生産&供給に関しては、専業メーカーとして世界に唯一の企業と自負するものだ。
しかし、残念ながら現状の大連愛光は、I o
T企業とはほど遠い、勘に頼る旧態依然とした職人気質を深く残した、古いモノ作り生産体質のままの
企業である。今こそ大きく脱皮しなければ、二度とグローバル企業などと、呼びかけの出来る機会を
失うことであろう!幸い、先に挙げたが2000年以降、各種社内業務には生産管理システム導入により
、多くの数値資料・データが有効利用されずに蓄積されている。
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现状,大连爱光成为“IoT”企业有着很大的距离。依然是沿用以前的工艺和生产体制。现在不脱皮不改
革的话就会失去进军世界舞台的机会。幸运的是前面讲过,2000年开始各项公司业务的生产管理体系软
件的导入积累了大部分的数值资料和数据。
在一个非常时期,迎合时代的发展,充分利用网络,提高生产性,创造“IoT”工厂是我的终极目标。说
来简单,可是现实上会喷出各种各样的问题。作为公司董事长我认为创造出具有大连爱光特色的
“IoT”工厂就足以。
最后再加一句,上面讲“IoT”的“T”是“Things”,中文是“物”的意思。我们公司的“物”是CLAMP
, 所 以 大 连 爱 光 的 “ IoT” 改 称 为 “ IoC” 。
ドイツ式I o T(Industrie 4.0) 第4次産業革命にみる、I o Tの理解図
I o Tが実現した将来のシステム構成
工場の機械がインターネットに接続されている
今のインターネットシステムは、左
図のようになっていて、パソコン、
スマートフォン、タブレット端末、
サーバーなどがネットワークに接続
されている。これらの情報通信機器
は、自分でデータを処理できるとい
う意味でスマート化されている。相
手のアドレスさえわかれば、世界中
の人と「いつでも、どこでも、誰と
でも」電子メール、ツイッター、フ
ェイスブック、ブログ、ホームペー
ジなど、目的、用途、相手に応じて
様々な手段が存在しているが、将来
、さらなる多様な交流手段が出現す
ると思われる。
このネットワークに、工場のロボッ
ト、工作機械、計測機器、検査機器
などの製造設備、そして生産ライン
を流れる製品や、顧客の下で使用さ
れている製品を接続した状態が「Ind
ustrie4.0=I o
T」である。それらがすべて「スマー
ト化」されているので、人の指示に
基づき「自律的」にコミュニケーシ
ョンを取り合い、アプリの下で「自
律的」行動をとる。システム構成と
しては極めてシンプル
である。
すると、A社の大連工場内にあるロボ
ットX君は、同じ工場で働いているプ
レス機械Y君とインターネットを経由
してコミュニケーションすることが
できる。A社の日本本社工場にある検
査機器や品質管理部のW子さんともコ
ミュニケーションが可能である。今
、私たちが使っている「人と人のコ
ミュニケーション」と同様、相手が
機械であれ人であれ、相手のアドレ
スさえわかれば、ロボットX君は「い
つでも、どこでも、誰とでも」コミ
ュニケーションし、「自律的」に行
動できる。
工場内で機械同士がコミュ二ケーションを取れる
産業革命の発展階段
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ただ“美味しかった!”とだけしか表現できない貧しい発想の人と、その先を豊かに考える事の出
来る発想の持ち主とでは、将来大きな差が出る事と思っております。
いろいろな味わいを吟味できる人材は、これからも仕事の上でその発想を生かした仕事の展開ので
きる社員として、成長できると確信しております。
皆様とともに、明るい春の恵みの実現に向かって、力を合わせて参りましょう!
~春的语言~
朝着梦想实现副董事长 仓永加寿子
去年是急剧动荡的2015年。如今,世界政治不透明、经济状况恶化,战争灾害和恐怖事件频发
,国际秩序混乱。有首赞美歌叫^^♪数算主的恩典^^♪,我和董事长经常哼唱。在这考验不断的生活中,真要数算主的恩典的话,真的,真的获得了太多、太多!在萦绕心际的思绪中,迎来了2016年
的春天。
大连爱光在大连开发区自成立至今,迎来了第22个年头。回想起来已有20多年了。在这片广阔
的土地上,如此小规模的日企居然能存活到现在,感谢之情溢于言表。
由于众多日本企业进出,开发区有很大发展。大连爱光也募集了很多员工,在那些中国人的帮
助下我们的生产才能延续至今。如今员工们买了房子、有了家庭,与之前相比生活水平明显提高,
幸 福 感 提 升 , 更 加 享 受 生 活 。 开 发 区 的 主 要 街 道 --
金马路商业街,感觉像纽约曼哈顿那种高楼林立,认识过去的开发区的各位,如果看到现在的建筑
群和交通堵塞,一定会对这里的发展感到惊讶。
在这急剧变化的大连开发区,过去两年,袭来了一股地狱般的日元贬值风暴。大连爱光向日本
出口份额占总营业额70%。董事长给大家打个比方,充分解释一下日元贬值的实际情况:就好像在
装有货值1000万日元产品的集装箱内,把100万~200万日元的现金放到产品包装箱上一同发往了日
本。1个月出荷10余次,就相当于每个月10倍的赤字。过去的两年,我们就是从这种地狱里走过来
的。在这种经济环境下,不起眼的中小型日企不知不觉地撤退了,大型日企也相继转移到中国南部
工厂和东南亚。员工工资上涨也压迫着外资企业的经营,导致加速撤退。几年前一直持续盈利的中
坚日企,如今卖给中国企业的例子也比比皆是。开发区失去了以往的活力,总感觉阴沉沉的。如果
今后我们想守护在开发区的生活,还是以前的工作态度和想法的话,在这严峻的世界我们是无法生
存的。大连爱光继续存活也是不可能的。
董事长对这种经济环境有切身感受,尝试种种战略并一直行动着。通过每周一的全体早会和干
部会议把信息传递给大家。我希望大家能把董事长所说的危机感变成自己的事,并充分理解。只有
能理解这种危机感的人才能称作是真正的大连爱光员工。
最后,用甜美的话总结一下吧。每年的12月,我都会在办公室挂上圣诞节的装饰品。其中之一
就是把在大连收到的苹果摆成圆,装饰1个多月后,把蔫和坏的地方去掉,剩余的部分直接吃的话
不可口,我就花了些功夫用红酒煮成了
苹果罐头。飘着桂皮的香味,变成了美
味的甜品,上面还装饰了一层生奶油!
今年我用80个苹果给干部员工和办
公室人员做了大家口中所说的“好吃的
”苹果罐头。尚且还好的苹果扔也是扔
了,但是花些功夫就可以变成美味的东
西。(不仅看着好吃,味道也真的不错
)
说到为什么花这么多心思,费这么
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大连爱光实习感想
亚细亚大学亚洲之梦第11期学生 经济学部 三国博臣
我是这次实习1个月的三国博臣。大家在百忙之中教授我很多宝贵经验,也让我学会了
很多事情。借此机会,向给予我指导、热情欢迎我的大连爱光的各位表示感谢。接下来记录
的是我在这里的所学所想。
大连爱光是一个“家庭”。12月15日,实习的第一天,大家热情的欢迎我这个陌生的日
本人,那情景至今还历历在目。很快我就到现场作业,中国人很正常的用汉语给我讲解,但
是对于汉语水平不高的我来说,这是最大的障碍。我拜托大家用手比划、用纸写,他们从来
没有表现出不满,相反还微笑着回答我,激发我更加努力学习。不仅仅是最初的冲压部门,
PVC、橡胶、线材、帽套、品管、所有部门的员工都这样对待我。生活上,以室友为首,大
家不但没有把我看作外部人员,反而让我迅速溶入他们的圈子,我一直疑惑不解大家为何如
此热情待我,后来我明白了,最大的原因是仓永董事长夫妇倡导的“爱和信赖”的理念。
第一天实习结束后打算回寝室时,看见董事长站在门口,低着头跟每一个员工说“辛苦
了”,我不禁发出声来。平日跟普通员工交谈时边开玩笑边聊天,完全没有高高在上的样子
。董事长和副董还把自己亲手做的料理分给员工吃,我每天都在想,这里的领导为什么能做
到如此平易近人。但是,正因如此,我才了解了仓永董事长和副董“爱和信赖”的理念,也
因此大连爱光成为了一个“家庭”。在今后的接人待事中,我一定先了解对方,信赖对方。
仓 永 董 事 长 说 过 ,
100%的信赖才能称作信赖,即使99%也不行。我认为正是这100%的信赖才支撑大连爱光走过2
0多年。
最后,向给予我热情欢迎的大连爱光的全体员工再次表达我的谢意。仓永副董事长为我特别
做了很多料理,不仅好吃,更饱含了爱意,每次吃的时候都感觉很难得。然后我还要感谢上
帝让我与大连爱光结缘。这一个月衷心感谢大家!
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《 ああ、あれから20年!! 》1996年1月1日発行 「大連愛光だより創刊号」
「創業元年 建厰初年」総経理 倉永和男
大連愛光・創業元年は、先ず順調に無難な船出をしたといえる。
小さきといえども、一つの事業を立ち上げるということは、真に多くの人々の協力、そして知恵が重
なり合ってこそ、成しえるものだと心から実感させられた一年だった。知恵も才能も無き私が、ただ
ガムシャラに旗振り役を務めさせて頂き、多くの方々にそれぞれの分野で貴重なお働き頂いた結果が
、順調に且つ無難に今日に至ったことだと、心より携わった方々に感謝の念でいっぱいです。
先ず、大連愛光での初仕事は社員募集でした。94年10月末、陳家村于連挙書記の一声で300名ほどの履歴書が会社受付に積まれた。40名募集に対してでした。10月末は初冬の季節です。私は常夏台湾・台南から来た身ですから、結構な厚着で面接対応しました。(もっとも、事務所には暖房設備は無く、
本当に寒い中での面接を覚えています)。多くの応募の人たちは20歳前の若者たちで、オーバーなどの暖かい衣類ではない薄いセーターを着て、寒い事務所前広場で長い時間を待ってもらったのが、印
象的に記憶に残るっております。
これら第一期採用生40名たちの、12月末までの基本研修と、一ヶ月足らず試運転兼成型者訓練で、95年1月より量産生産を開始させた。そして3月には㈱愛光向けへの初出荷を果たした。また、早くも6月度より現地幹部候補生社員によります、生産管理化もスタートさせました。(株)愛光管理指導員の
以降2ヵ年半に及びます、生産技術面・品質管理面での、指導の下であったことも事実です。
出荷後の日本での不良発生は無かったものの、生産時点での不良の山には随分と頭を悩ましたもので
した。そのような心配を抱えながらの、現地人による管理化は確かに暴挙とも言えることでしたが、
稼働半年後も、二年後でも結果には大きな差は無い、という私の確信がそうさせました。96年1月、未だ半年足らずのローカル化管理ではありますが、彼ら幹部候補生には既に管理者としての責任感、自
覚が芽生えてきております。もし二年後のローカル化でも同じ結果であったとしても、日本人管理者
の指導に慣れたローカル幹部たちには、自ら決断を下す幹部には成長出来てはいないと、私は思いま
す。
中国現地の有能な人材を育成し、日本、中国大陸のみならず、世界を駆け巡る企業の管理者として、
人も企業も多きく羽ばたくことを、トップとして夢見るのです。主業の「CLAMP」を世界の車両業界に幅広く供給するのが、私たち大連愛光社員の使命だと信じているのです!
巻頭言
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《 ああ、あれから18年!! 》1998年1月1日発行 「大連愛光だより23号」
「新年に想う・年頭所感」総経理 倉永和男
大連愛光全同志の皆さん、新年明けましておめでとうございます。
思い起こせば、昨年は社員研修に明け暮れした一年でした。私の貴重な時間と、全同志の貴重な時間
の心と心・命と命の交換の時を多く持たせて頂きました。全同志の真摯な研修態度に、講師役の私は
心から感動を覚えるものでした。海綿が水分を満々と含むが如く、全同志は朝から夕方までの長時間
もの研修内容を、吸収してくれるのです。
知識を知恵に変えること、物事すべてプラス思考で臨むこと、夢と希望を常に抱いて生きること等々
、全同志が心から理解してくれたことを、私は肌でヒシヒシと感じることが出来ました。全同志が学
んだこれらのことを実践行動に活かすには、まだまだ時間を要することは事実ではありますが、間違
いなく全同志の心根付いたことと、私は心から喜んでいる次第です。あとは各自一人ひとりが自分な
りに吸収消化しながら、仕事の中に、生活の中に活かして頂きたいのです。
企業は利益獲得を目的とする組織集団ではありますが、それが全てではありません。大きな柱の一つ
ではありますが、全てではありません。もう一つの大きな柱は共に働く愛光同志の幸せな人生の確立
があります。目の前の現実として、経済的自立や豊かな物質面の確保が先行はしておりますが、同時
に精神面での豊かさをも並行して、私たち愛光同志は模索しながら日々を過ごしております。
人間一人では生きていけるものではありません。企業組織はズバ抜けた才能がある人がいるからとい
って、発展するとは限りません。それぞれが担った責任を全うし、自分を愛するが如く人(他人や同
志)を愛し、協力し合ってこそ、人知を超えた力が発揮されるのです。世にいう成功企業、成功者と
言われる共通項がこのことを示しているのだと私は思います。
大連愛光の全同志の皆さん、研修で学んだことの実践が今年の大きな課題です。明るく・素直に・感
謝の気持ちで、素晴らしい98年を勝ち取り、邁進して参りましょう!
巻頭言
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《 ああ、あれから13年!! 》2003年1月10日発行 「大連愛光だより42号」
「新春に想う…飛翔」総経理 倉永和男
私は台湾で6年、ここ大連で10年、その前の北京語学遊学3年を加えれば、19年の年月を費やして、今がある。如何に能力の無さを証明している現実である。百人百様、千人千様と神様はそれぞれ人に合
った人生環境を与えて下さる。私には遠い遠くの遠回りの人生でもあったようでもあるが、逆の見方
をすれば、19年という最も短い時間の中に、かくもバラエティに富んだ種々の困難を、雨・風・大雪の如く与えて頂いたと、真面目に心から感謝の思いすら湧いてくる。
日本からの期待した注文は一向に増えず、98年にはタイ国に発した東南アジア経済危機に飲み込まれ、ジリ貧の経営状況の中、個人預金を取り崩しながら、大連愛光の生き残る術をここ数年探り続けた
。中国全土に散らばり進出する日系企業、560社中350社を営業開拓訪問した。98年99年の2ヵ年で100社の口座を開設させて頂いた。しかし、1社からの受注は500元1000元では如何に小さき大連愛光でも経営にはプラスとならなかった。当時の日系企業は未だ日本本社の補完工場で、量産工場にはほど遠
い生産体制だった。
私に残された開拓市場は、(株)愛光が失った日本車両業界のクランプ市場をゲットすることだった
。2000年を契機にバックにクランプ見本を押し込み、日本車両クランプ市場開拓活動を開始した。2001年より伊藤忠オートモービル社と協同で、建設車両のコマツ、そしてトラック大手のいすゞ自動車への営業アタックをスタートさせた。日本現状購入価格の20%コストダウンと、金型費用の発生させない大連愛光独自の提案をさせて頂いた。
幸いにも2002年にコマツ殿、2003年にいすゞ自動車殿との両社全量統一購買により、クランプの成約を頂き、即、量産納入を提供させて頂いた。日本では不可能と思われたことが、日本での基礎、台湾
・大連での17年余のクランプ作りの実体験が、日本車両大手二社との成約に結びついたと実感している。
両社とも生産ラインに直結するジャスインタイム納入方式ではあったが、大連愛光トップの契約時の
お約束、「日本国内生産と全く変わらない納入を保証します!」を守らせて頂き、心より大連愛光社
員全同志と共に、大きな誇りとさせて頂いております。
本当に長き長き苦しい19年余の中国圏での歳月ではありましたが、誇れるという想いからは短い時の流れだったとも、心から述懐出来るのです。
2003年の新春、大連愛光が大きく飛翔する姿が現実のものとして、大連・金石灘の朽ち果てる寸前の如き大連愛光社屋で、迎えられる幸せを心より感じるのであります。
巻頭言
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《 ああ、あれから8年!! 》2008年2月1日発行 「大連愛光だより73号」
「新生大連愛光の新年にあたり」董事長・総経理 倉永和男
今年を新生大連愛光の改革改善元年と位置付けている。創業から数え15年、幾多の想い出が山と積まれている。良きも悪しきも多く入り混じっている。この度完成をみた新工場1万㎡の建物はその《良
き》結果の上に成り立っているのは当然である。一方に《悪しき》ことへの改革・改善が08年今年の最重要取り組み課題であり、完遂課題でもある。
先ず、全社員の思考・行動パターンを、大連愛光の経営理念である《愛と信頼》に照準を合致させる
ことである。私自身にも言えることである。過去の年月で《悪しき》ことに片目をつむり、時には両
目をつむっては見逃してきた張本人だからだ。《愛の大家庭集団》づくりをを掲げるトップの立場と
して、《良き》ことは積極的に推奨し、《悪しき》ことの社内からの排除を明確に宣言しなければな
らない。
そのような意味からも、《悪しき》過去の思考・行動から抜け出せない幹部、全く自分の行っている
ことが企業幹部としての認識の持てない幹部は、自らの出処進退を明確に意思表示すべきであり、企
業トップとしても明確に処分していく方針である。何故このような厳しい方針、言い方をしなければ
ならないか、を考えてみよう。
創業15年目にして大連愛光は自前の工場を持てた。創業間もない半年後に中国人幹部候補生による管理の試行錯誤がスタートした。本当に幹部候補生は真面目に㈱愛光指導員の下に管理を学び、人間と
しても大きく成長した。ただ、この15年の創業の学びの時にも幹部候補生の交代も多くの例をみた。年月を経るに従い不正も多く顕れてきた。祝うべき新工場完成前後にも《悪しき》面が噴出し、残念
ながら、旧組織体制の部門長を含む幹部諸氏の退社を余儀なくされた。変わって部門を率いる幹部候
補生は、未だ実践管理指導経験の少ない係長クラスによる各部門管理のスタートだ。
新生大連愛光は素晴らしい新工場でスタートを切ったが、その実、組織管理体制は未熟な新任係長や
課長や、新規募集した大連愛光での実践経験のない、以前の会社経験のみを参考にした、幹部候補生
による新管理体制が現実の姿だ。
創業10年以降、コマツやいすゞ自動車の大型商権の獲得で、大連愛光の成長の大きな弾みが成された。そして新工場の落成である。二つの商権も生産&出荷が順調に推移し、現在の成すべき大連愛光
同志の課題は、冒頭に述べた《改革改善》への果敢なチャレンジである。新工場での董事長主催によ
る全社員研修会も復活する。改革改善すべき諸問題はうず高く聳え立っている。私はこのうず高い山
巻頭言
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《 ああ、あれから8年!! 》2008年10月1日発行 「大連愛光だより75号」
「今、開発区に生きる三人の思い・行い」副総経理・総務部長 倉永加寿子
今年の夏、大連自宅の小上がりの畳に身体を横にし、畳の感触を楽しんでいた…のですが、畳のクズ
がボロボロと衣服に纏わり付きます。また、周囲の壁紙も剥がれ破れた様子は、私にはとても耐えが
たい思いが湧き起こり、すぐさま意を決して、小上がりの畳の間を撤去して、シンプルなフローリン
グに改修することにしました。
改修は業者に当然依頼するのですが、その前の家財家具等々の整理や廃棄作業が、これまた思った以
上の大変な作業でした。本の整理をしていた折、社内報「大連愛光だより」の印刷をお願いしており
ます、池宮印刷の総経理をされておられます池宮城氏が2004年に出版されました「大連開発区幻想2004」という写真集が目に飛び込んできました。
以前に頂いたのでしょうが、私は初めて手にしたもので、懐かしく一頁一頁の写真を見させて頂きま
した。大連愛光とほぼ同じ頃にこの開発区で印刷会社を興された為か?…私の心の中に、開発区に来
た頃の、あの驚きと新鮮さを蘇えらせてくれました。
写真集のあとがきの中で、「写真家の主張通り、意図的に撮られた写真には、主体性が感じられない
。何のために撮影するのか、目的を定めなければならない。これは記録しなければならない、と感じ
た時だけ撮影しなければならない、と思った被写体に出会った時に、時期を集中して熱中する。」と
書かれている。池宮城氏の思いがギッシリと詰まった傑作であると、私は思いました。
巻頭言
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直接表达,感觉很轻松。因为沢野医生与中国医院之间是个人合同,所以合同工资特别低。理应给
日本医生提供高级住宅,但实际环境并不好。可是沢野医生却说“我一边享受一边生活”。在接受
治疗的过程中,医师的人品也感染了我,真心感受到医生对患者的体贴和亲切。
在异国长年生活的我向大家介绍了这三位有爱的人,他们的共同点是什么呢?我认为,此时此
刻在中国大连开发区,他们爱这个地方,并愿意把他们多年培养的“东西”还原给这片土地。
1989年の開発区中心・銀帆ホテルと金馬大厦(今は無し)